100年後も上田を残すには、やっぱり政治が必要だと思った話

こんにちは、おいでよ上田です(*´ω`*)

物騒な(?)タイトルにしましたが、今日はいきなり政治の話です。

今年の3月に上田市長選・市議会議員選挙があって、その記事をまとめたことがきっかけで、色んな人が興味を持ったり危機感を持っているということがわかりました。
おい上と同じように、「選挙にもっと興味を持ったほうが良いんじゃないか?」と思っている人が、けっこういます。

実際その人たちと会って話してみて、おい上がこうじゃないかな?と思ったことをまとめておきたいとおもいます。

※この記事はおいでよ上田の主観・偏見で書いているので、全てが正しいとは限りません。
もし間違っていることや的はずれなことがあれば、コメントなどで教えてください。
また「自分はこう思う!」という意見も大歓迎です!たくさんの人がこのことについて真剣に考えることがいちばん大切だとおい上は考えています。

きっかけ

おいでよ上田は、「上田がもっと盛り上がって欲しい!」つまり→「上田の経済が回って欲しい!」という感じでいつも活動しているんですが、いろいろ調べたりしていると、どうしても政治に触れる機会があります。

選挙の記事をたくさん書いていたことで、数人の議員さんが反応してくれたりしたことと、20代前半のある人が「若い人に政治にもっと興味を持ってもらうにはどうしたらいいでしょう」と相談してくれたことで、もっと政治に関して真剣になったほうがいいのかもしれない…とりあえず、この記事を書いてみよう!と思い立ちました。

■若者が政治に興味がない理由を考えてみた

▶政治をやっている人がどんな人なのか知らない

若い人は議員さんや選挙に出るような人と、あまり交流する場がありません。

調べればわかるけれど、それぞれのホームページがあったりなかったり、SNSをやっていたりやっていなかったり、全員分の情報を調べるのはものすごく大変です(おい上もすごく大変だった)。

発信していたとしても届かなければそれはないものと同じ。
情報がない、分からない人には投票できないし、興味も持てるはずがない。

そういう悪循環がまず一つの理由。

実際に調べてみると、政治信条だけでなく趣味や普段していること、人柄までわかって「この人面白いな〜」と興味を持てる議員さんもとっても多いのに、本当にもったいないと思うのです。

▶地元に愛着がない

南信(長野県の南の方)では、若者が「18歳投票率を100%にしよう!」と活動しています。
飯田下伊那100計画 – YouTube

南信はとくに、地元に愛着を持っている若者が多いなと感じることが多いんだけど、その理由はたぶん、「代々受け継いでいく伝統」が多いからなんじゃないか?と思います。

正確なデータがないので予想だけど、上田は地域を上げた大きなお祭りで、歴史があり、世代を超えて受け継いでいく市民参加の伝統のあるものって少ない気がします。

市民参加のお祭りは大きいものだと上田真田まつり(36回)、祇園祭(開催回数不明)、上田わっしょい(46回)あたり。塩田の方だと別所温泉の岳の幟(513回)や保野の祇園祭(武田信玄公が始めさせたらしいので500回近く)なんかがあるけど、その自治会の人が受け継いでいくお祭りという側面が大きくて上田市民が広く参加するお祭りではありません。

地元に愛着を持つきっかけとして「年齢層の違う世代間の綿密なコミュニケーション」がひとつあると仮定したら、「伝統として引き継いでいくもの」があまり多くない上田の多くの若者は地元に愛着が薄く、より便利で就職口が多い都会に出ていってしまって地元に興味がないのは仕方のないことかもしれません(´・ω・`)

▶行く理由が少ない

行動を起こそう!と思うきっかけはいろいろあります。

上であげた1つめと2つめの理由を踏まえて、それ以外に行く理由となりうるものがない。

理由になるものを具体的にあげるとしたらたとえば、友達やみんなが行くから行く。行くとお得になる何かがあるから行く。行くと素敵な写真が撮れる。などなど。

行くことで何かいいことがある、または行かないことで何か不利益があるのが、わかりやすい「行きたくなる理由」ですが、若者にはそれがいずれもない気がします。

▶政治や、日本の将来に期待していない

選挙に行かないと自分の未来を捨てることになるんだよ!

と、選挙に行く人は声を大にして言いますが、多分若者は、そもそも自分がこれから生きていく将来に期待してないんじゃないか?というのもあります。

なぜかというと、若い人はこれから稼ぐようになり、その稼いだお金で超高齢化した社会を支えていかなきゃいけない、と思っています。そして自分が払ったはずの年金は返ってくるのかどうかもわからない。

今でさえ給料の何割も税金などで持って行かれて少ないのに「若者の◯◯離れ」と言われ、今、この国を支えている人(そして稼ぎ手から退場していく人)は何もわかってくれていない。
このへんは、最近話題になった「お金の若者離れ」(元記事は朝日新聞の購読者投稿)という記事がわかりやすく書かれています。

せめて国で若者支援のことをやってもらいたいと思っているのに、テレビを付ければ自分たちには直接関係ないスキャンダルばかりを報道している。
自分たちにどんどんしわ寄せが来ているのをみんなわかっていて、だからこそもう政治には期待していないから、選挙に行っても変わらないと思っているんじゃないか…。

すごく悲惨な状況になることがわかっていて、それを受け入れるしかないと思っている。入ってくるお金も少ないし無駄にお金を使えない、結婚も出産もお金がかかるんじゃないかと怖くて、したくてもできない。

そういうことなんじゃないでしょうか。でも選挙に行かないことで若者の理想の社会からはどんどん遠ざかっていく。

もしそうなら、これからの日本は悲しすぎます。

▶「政治の話をするのはタブー」感がある

日本は特に、政治の話をするのはタブーという感じがありますよね。
話しづらい雰囲気はどこから来るんだろう…と考えると、たぶん義務教育にさかのぼります。

いわゆる教員の人たちから政治の話を聞いたことって記憶にあるでしょうか?
おい上はありません。

というのも、教員の人が政治の話をするときは公平に話をしなくちゃいけません。
この「公平に話をする」というのはとても難しいです。

おい上も市長・市議会議員選挙の記事を書いたときは公平に紹介しようと心がけたんですが、それでも「◯◯さんを応援しているように見える!」と言われました。

なので、公平に話をしているようでもそう取られないことがある。結果的に政治の話はしにくくなり、政治の話をするのは「難しいこと」になる。

それを見てきた子どもたちは政治の話をするのは、普通の光景じゃなくなり、政治の話をしにくくなる。

もともと討論が苦手な日本人なので、こういうところが拍車をかけているんじゃないかな…とおもいました。

■どうしたら興味を持ってくれるのか考えてみた

▶年齢層の違う世代同士が交流できる場を作る

上田は地域で活動する団体さんがとても多いなーと感じます。
歴史関係の団体でも、真田関係・赤松小三郎先生の関係・紬や蚕業関係・手塚治虫先生の先祖の手塚氏の関係などなど、コレでもごく一部でものすごくたくさんの団体さんがあることがわかります。

が、多くの団体は特定の世代層だけで構成されていることが多く、ほかの世代と交流する機会になっている団体は少ないんじゃないかと思います。

なので、世代間の交流ができる機会を増やすこと。
具体的には、歴史や昭和期の地元のことを伝える会とか、街歩きをしながら昔の上田の姿を話してもらう会とか(おい上がそういうの聞きたい)、過去と現在の話をできる集まりがあるといいのかな、と思いました。

▶議員さんの人柄を知ってもらう

最初にも書いたように、知ってもらわないことにはどうしようもありません。

今はほとんどの人がインターネットに常時接続できる時代。
「思い立ったらすぐ調べられる」「ここを見ればわかる」というポータルサイト的なものがあるのが理想的です。

議員さんそれぞれのホームページやSNSを見てもいいんですが、それぞれの情報が全く別のところにあるので、全員分を確認するのは骨が折れます。
大事なのは情報を集約すること。

また、議員さんの人柄や政治信条以外もわかるように、常に興味を持ってもらう可能性を高めることも大事です。

今は上田市議会の議会報というのが発行されて市報(広報うえだ)と一緒に配られていますが、正直あんまり若い人が興味を持つ内容は書いてありません。
なので、もっとフランクでとっつきやすい内容にして、フリーペーパーのような形で出し、街角においてしまうのもいいかもしれません。

▶くだらなくてもいいから、「選挙に行く理由」をたくさん作る

昨年の衆議院議員選挙で、高校生で起業したという起業家、椎木里佳さんの記事が一部で話題になっていました。

「演説よりオフ会・SNSを」 女子大生社長の選挙戦術 – 2017衆議院選挙(衆院選):朝日新聞デジタル
(有料記事なので途中までしか見れないかもしれません)

政治家はSNOW(自撮りアプリ)で撮影した写真を投稿したりオフ会をしたり、投票所にインスタ映えするスポットを作ったりすれば若者は興味を持つのに、というような内容が書いてあります。
この話は一見「そんな選挙に関係ないことくだらない」と感じる方が多いかもしれないですが、そもそも「投票すること」自体に興味を持たなければ誰に投票しようかも考えないわけで、若者へのアピールとしてはとても効果的だとおい上は思っています。

とりあえずこういうのを投票バージョンにして作って置いておくとか

画像はこちらからお借りしました

アリオでやっていた投票クーポンの協力店を増やして、クーポンを統一するとか

クーポンがあると投票に行こうという気持ちになる人が多いみたいなので、クーポンはかなり効果的だと思います!

あとは、クーポンが使えるお店が増えることと、使用期限を1ヶ月〜3ヶ月くらいの長めに設定すればもっといいかもしれません。

■地方都市「上田」を100年後も残していくために

上田は年々人が減っています。
あたらしく生まれる命もあるし、移住してくれる人もいるけど、やっぱり出ていく人のほうが多いです。
上田は若者にとってあまり魅力のあるところではないかもしれません。

これから日本は高齢者が増えて、働ける人がどんどん減っていきます。
いまはどこに出かけていっても「急募!アルバイト募集!」という張り紙をみるけど、これもきっと働き手が少なくなった証拠。

急速に若者がいなくなっているこの上田というまちは、100年後になったらどうなるんだろう?と、最近おい上は思います。
どんどん働き手が居なくなって、経済も停滞して、もしかしたら上田というまちは立ち行かなくなってしまうかもしれない。

それを止めるにはどうしたらいいのか…と考えた時に、やっぱり最後は「みんなで地域の未来を考えること」が大切で、それって、地域のみんなが政治に参加することだと思うのです。

だから、おい上はもっとみんなに政治に興味を持って欲しい。私は、僕はこう思う!こうしたらいいと思う!という意見を色んな人が気軽に話せるようになればいいとおもいます。
100年後もふるさとが元気でいてほしいから。

■政治に関するおすすめ本


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100年後も上田を残すには、やっぱり政治が必要だと思った話” に対して1件のコメントがあります。

  1. Wasetsuan より:

    最近仕事で室町時代の自治について知る機会がありました。永禄とかその前後あたりの時代に関する調査のためです。
    室町時代は気候が安定しない時期とかなさっていて、大規模な飢饉が起きたり水不足や燃料資源の確保などで争いが絶えない時代だったと同時に、農業・商業(流通)のほか、布や鍛冶、木材加工などの生産技術も発達した時代でもあります。
    そのような時代において個人で生きていくことが難しいため、人々は「家」と呼ばれる集団を形成したそうです。現代の「家」とは違い、家産や家業をもった血縁以外の人も取り込んだ一つの組織で、上下関係もはっきりしており、家長が家を守るとはこの頃にできた習わしではないかと考えられます。
    当然家だけでは存在することが難しく、いくつかの家が集まり「惣」という集団を形成します。この惣には有力な家の長が他の家をとりまとめ、惣村という自治組織を作り、土地を守っていました。
    一方、鎌倉時代から力を持ち出した武家という集団が存在し、貴族荘園(国)の守護(統治)を任されていました。俗に言う「大名(守護代)」です。
    大名(守護代)はその土地を治めるにあたって、惣村と約定を交わしました。
    大名(守護代)は民衆を直接管理したのではなく、惣を管理したのです。
    この頃税制も新しくなったのですが、荘園の運営が下手な守護代もいたことでしょう。惣村側からの要求に対してうまく調整できなかったり、隣接する国との調整がうまく行かなかったり、謀略にはめられたりして、争いが絶えなかったのが戦国と呼ばれる時代だったようです。

    さて長々と前置を書いてきたのですが、「惣村」とは今の町(村)であって、惣村と守護代との関係は、町と県みたいなイメージです。惣村の代表は有力な家の長であり、守護代は武家の長です。

    さてお気づきのようにこの時代に「政(まつりごと)」の基礎ができあがっており、このころできた風習はなんと昭和後期ごろまで(場所によっては平成初期まで)残っています。それらの名残は自治会という名前で存続しています。

    政の基本は「惣」という単位を存続させることであり、存続というのは発展し続けることと同意です。惣の中には家があり、家の発展が惣の発展に繋がります。惣が発展すれば、国も発展します。武家と惣村は利害が一致していたのです。しかし発展させるためには様々な考え方があり、ある考え方に同意する家同士の連携も必要になってきます。さらに大きな発展のためには「惣」同士の連携も必要になってくることもあるでしょう。
    その時、主張を通すためには味方が多くなければ、仲間内からできてしまいます。そうなると実現はなかなか難しいのではないでしょうか。
    発展を実現させるためには障害を排除するようなことも辞さない。そしてそこには必ず利権が絡みます。綺麗事を言っても結局は発展させるための方法が違うだけで、利権者がかわるというだけの話。

    これらが如実に「戦」として見られたのが戦国時代。
    諜報戦や情報戦を駆使して武家が惣から兵を募って戦った時代。戦は「政」を決するために行われたまさに「政治」の手段の一つ。

    さて、こうした歴史をざっくり見てみながら今を観察した場合、「個」はどこまで「衆」と対峙できるようになったのでしょうか。また「個」として存続できるということは、個を超越する処理能力(食料生産や飲料の確保、廃棄物の処理など)はどのようにあるべきなのでしょうか。
    今の政治は戦国のそれと比べて何が違うのでしょう。

    歴史調査を終えて、日本の生活文化の一つを掘ってみたことで、「個」が存在できる世界の平和さと、個が存続するための意味とは、室町時代の家が存続する意味との違いを比べることによって、政を治める意味を今一度考える切っ掛けができるのではないかと思う次第です。

    長文投稿失礼しました。(*ノω・*)テヘ

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